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人生朝露

人生朝露

桃符と急急如律令。

荘子です。
荘子です。

四方拝。
一年最初の宮中祭祀・四方拝のつづきを。

参照:四方拝と北斗七星。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005172/

明治以降は廃止されたものの、1000年以上歴代の天皇が唱えていた「武曲星(×7)・・・萬病除癒、所欲随心、急急如律令。」の「急急如律令」という呪文は、歌舞伎の勧進帳の弁慶のセリフにも出てきます。

勧進帳・山伏問答。
「それ九字真言といつぱ、所謂、臨兵闘者皆陣列在前の九字なり。将に切らんとする時は、正しく立つて歯を叩く事三十六度。先づ右の大指を以て四従を書き、後に五横を書く。その時、急々如律令と呪する時は、あらゆる五陰鬼煩悩鬼、まつた悪鬼外道死霊生霊立所に亡ぶる事霜に熱湯を注ぐが如く、実に元品の無明を切るの大利剣、莫邪が剣もなんぞ如かん。(「勧進帳」山伏問答より)」

参照:Kanjincho - Part 4.mov
https://www.youtube.com/watch?v=oQyLkKMGe5g
(開始後7:00~くらい)

「急々如律令」という道教の呪文を、鬼を祓うという意味あいで唱えるものであるとしています。この弁慶のセリフには、『荘子』にも登場する「莫邪(ばくや)の剣」の他に、道教に関係するものがあります。

「臨兵闘者皆陣列在前(りん・ぴょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん)」という「九字(くじ)」です。勧進帳では「九字の真言」として説明されるこの言葉、これも前回「「禹歩(うほ)」の時に引用した四世紀の書物『抱朴子』の「登渉篇」に載っています。

葛洪(283~343)。
『抱朴子曰「入名山、以甲子開除日、以五色糸曽各五寸、懸大石上、所求必得。又曰、入山宜知六甲秘祝。祝曰、臨兵闘者、皆陣列前行。凡九字、常當密祝之、無所不辟。要道不煩、此之謂也。(『抱朴子』登渉 第十七)』
→抱朴子曰く「名山に入る場合、甲子開の日を除き、大石の上に懸けるため、五寸・五色の絹を必ず求めること。又、入山の際には六甲の秘密の祝詞がよく知られている。「臨兵闘者、皆陣列前行」の九字である。常にこの祝詞を忘れないように心に留めておきなさい。道を求め煩わず、とは此の謂いである。

参照:Wikipedia 九字
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%AD%97

参照:とびザル と一緒に九字結び
http://www.youtube.com/watch?v=zjrOrqyk2gs
忍者モノの時代劇ではおなじみの言葉です。「臨兵闘者皆陣列前行(りん・ぴょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ぜん・ぎょう)」と「在」「行」の字に違いはあるものの、九字は本来、道教の書物の中に記録されています。

ドーマン・セーマン。
弁慶が、「先づ右の大指を以て四従を書き、後に五横を書く。」というのが九字切りと呼ばれるもの。縦に四本、横に五本の線というのは、陰陽道でいうところのドーマンです。

参照:Wikipedia セーマンドーマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3

ちなみに、弁慶が「三十六回歯を叩くこと」云々と言っていまして、こちらも『抱朴子』に近いものがあります。
葛洪(283~343)。
『或問堅齒之道。抱朴子曰:「能養以華池,浸以醴液,清晨建齒三百過者,永不搖動。(『抱朴子』雑応 第十五)
→ある者が歯を丈夫にする道について訊ねたところ、抱朴子曰く「華池によって養うことができる。 醴液に浸して、毎朝歯を三百回叩けば、歯がぐらつくことなどないだろう。

荘子 Zhuangzi。
『庚桑子曰「小子來!夫函車之獸、介而離山、則不免於罔罟之患。吞舟之魚、碭而失水、則蟻能苦之。故鳥獸不厭高、魚鱉不厭深。夫全其形生之、藏其身也、不厭深眇而已矣。』(『荘子』庚桑楚 第二十三)
→庚桑子曰く「聞きなさい。車を呑み込むほどの巨大な獣でも、ひとたび仲間とはぐれて山から下りてしまえば罠にかかってしまう。舟を呑み込むほどの巨大な魚でも、跳ねた拍子に陸に上がってしまえば蟻の餌食となってしまう。故に鳥や獣は少しでもその災いから避けるためにより高みを目指すことをいとわず、魚やスッポンは深い水底に潜ることをいとわない。生命を全うしようとする人もまた、人目につかない深い山林に身を蔵することをいとわない。

紀元前の『荘子』には、隠者の記述が多くありますが、四百年以上経った後に書かれた『抱朴子』には、もっと実践的な、同時にもっと呪術的な要素の強い表現があります。『抱朴子』ともなると、個人的には、老荘思想や道家思想ではなく「道教」と呼んでしまいます。

俗。 仙。
にんべんに谷と書いて「俗」といい、にんべんに山と書いて「仙」といいます。世俗から足を洗って仙人になるというのが、道教のイメージとして定着していますが、隠遁の思想、というよりも山岳信仰と呼べるものは『抱朴子』あたりから見られるようになります。(ちなみに、『荘子』という書物には、「俗」という字はあっても、「仙」の字はありません。)

葛洪(283~343)。
『或問登山之道。抱朴子曰「凡為道合藥、及避亂隱居者、莫不入山。然不知入山法者、多遇禍害。故諺有之曰、太華之下、白骨狼藉。皆謂偏知一事、不能博備、雖有求生之志、而反強死也。山無大小、皆有神靈、山大則神大、山小即神小也。(『抱朴子』登渉 第十七)』
→ある者が登山の道について訊ねたところ抱朴子曰く、「おおよそ、仙薬を求めるためであれ、戦乱を避けて隠遁するためであれ、山に入ろうと志さない者はいない。しかし、心得を知らずに山に入り、災難に遭う者が多い。故に諺にも「太華の下には、白骨がひしめいている」ともある。皆、一つのことに気を取られて、博く災難に備えるという術を知らないのだ。生を求める気概をもって山に入ろうとしても、かえって死を強いられることになったしまう。山の大小に関わらず、全ての山に神霊が宿っている。大きな山の神霊は大きく、小さな山の神霊が小さいだけの違いだ。

『抱朴子』というと、中国の錬金術・煉丹術の書というような説明がなされやすいですが「登渉篇」は日本人にも身近なものが多いです。また、この入山の際の備えとして、いかにも道教な「お札」の記述が『抱朴子』には載っています。

老君入山符。
『上五符、皆老君入山符也。以丹書桃闆上、大書其文字、令彌滿闆上、以著門戸上、及四方四隅、及所道側要處、去所住處、五十步內、辟山精鬼魅。(同上)』
→上の五符はみな、「老君入山符」である。桃の版木の上に赤字で書き上げる。大文字でびっしりと令を書き上げ、鬼神の出入口、その範囲の四方四隅、通路の要所に掲げる。するとその範囲五十歩以内に山川の鬼神や魑魅魍魎は近寄らない。

参照:Forbidden Kingdom より。
http://www.youtube.com/watch?v=TCF6RfXQJXo
キョンシーとか式神に貼られるあれです。今でこそ、日本のほとんどの神社仏閣の貴重な収入源となりましたが、「お札」や「お守り」の起源は道教です。四世紀の書物には、効能や用法まで書かれるようになります。

参照:Wikipedia 神札
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%9C%AD

鍾馗の桃符。
「霊符」と言ったり「桃符」と言ったりして戸口に掲げるものです。これもまた「桃」です。↑の桃符は、日本では五月五日の端午の節句で魔除けに使われる「鍾馗」を象ったものです。昨日、九月九日は、菊のお酒を飲んで厄を払い、長寿を祈願する重陽の節句でしたが、五節句のうち三月三日は桃の節句ですよね。

追儺と鬼、追儺と桃。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005171/

九字切りや五行説を表す「セーマンドーマン」や、歴代の天皇が唱えていた「急急如律令」というのは、陰陽道や修験道の中で用いられてきたとはいえ、根元的には道教由来のものです。

伊勢・二見町の蘇民符(桃符)。
実は、伊勢の二見町というところでは、「蘇民符」というお札(かつては桃の木の札)を注連縄と一緒に門前に掲げる風習があるそうです。神楽の中にもスサノオが中国に渡って鍾馗と出会い、再び日本に戻って疫病を祓うというお話があるんですが、どうやらそれに近い由来のようです。

参照:岩見神楽 鍾馗
http://www.youtube.com/watch?v=U2UWnmCVKso

しめ縄の「蘇民将来子孫家門」と「急々如律令」はどのように読むのですか?
http://www.ise-miyachu.co.jp/faq/?p=1335

後で推敲します。

今日はこの辺で。


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